その後の嵐璃寛の名跡


二代目の没後、嵐璃寛の名前は五代目まで続きました。四代目まで上方浮世絵の中に姿を見ることが出来ます。


三代目嵐璃寛 1812〜1863
尾上和三郎の名で若女方を勤めた後、天保2年(1831)二代目璃寛に入門し、三代目嵐徳三郎となる。天保14年(1842)三代目嵐璃寛を襲名し、立役・女方を兼ねた。文久3年(1863)没。

四代目嵐璃寛 1837〜1894
三代目嵐璃寛の子に生まれ、嵐和三郎の名で舞台へ。万延2年(1861)四代目嵐徳三郎を名乗り、慶応3年(1861)四代目璃寛を襲名。明治27年(1894)没。
五代目嵐璃寛 1871〜1920
初代嵐璃寛の孫。明治8年(1875)四代目璃寛の養子となり、子役として舞台へ。和三郎・徳三郎の名を経て、大正7年(1918)五代目璃寛を襲名。大正9年没。

国員 画 『国姓爺合戦』

安政6年(1859)1月 角

嵐 璃寛3 … 和藤内

一養亭 芳瀧 画『幼稚子敵討』 慶応頃

嵐 璃寛4 … 奴百度平 市川 瀧松 … 坊太郎 市川 雀右衛門 … 源太左衛門

芦ゆきの橘三郎びいき
襲名 二代目 嵐 璃寛 浮世絵Museum